明治末から大正にかけて「民法といえば鳩山、鳩山といえば民法」とまでいわれた民法学会の寵児である。鳩山は、
梅謙次郎、
穂積陳重、
富井政章らの日本の
民法起草者による解説・注釈の時代を乗り越え、
川名兼四郎、
石坂音四郎らと共に
ドイツ法の研究の結果に依拠した解釈論を発展させて日本民法の解釈論として主張した。その中でも、鳩山理論の影響力は多大で、ある公理ないし
ドグマから
演繹的に具体的規範を定立し、その公理系内における体系化を推し進めて精緻な理論を完成させ、一時代の通説を築いた。その後、その手法を
概念法学であるとして、社会学の研究の成果を法解釈学に導入した
末弘厳太郎に徹底的に批判された。なお、鳩山の学説を批判した末弘の妻は菊池大麓の三女であり、鳩山と末弘は義兄弟の関係である。