1925年、
治安維持法の是非を巡って閣僚としてこれを推進しようとする犬養毅を中心とした右派とこれに反対する尾崎行雄・
清瀬一郎・
大竹貫一ら左派がこれに強く反対する。このため、犬養は直系の
星島二郎・
植原悦二郎ら右派議員を連れて立憲政友会への合同を模索する。
5月10日の協議会で政友会との合同動議が出されるが、左派はこれに反対して同党は分裂、右派は既に政党の体を失ったとして解党を決議した。
5月14日犬養ら右派は立憲政友会に合流、左派は同じく政友会との合同を巡って分裂した
中正倶楽部との連合(
新正倶楽部)を模索するが、その後左派は再び分裂して
昭和に入ってからその一部は新たに
革新党を結成する。