日本には
神奈備(かんなび)といわれるものがあり、山岳信仰の一つの形でもある。古くは神奈備は
磐座(いわくら)・磐境(いわさか)とともに、普通の山だけでなく、
火山や森を抱かないいわゆる裸山や禿山も信仰の対象としたが、神奈備は木々や森林を抱く集落に隣接する山として、
鎮守の森や
神籬(ひもろぎ)に変わっていき、磐座は
夫婦岩などとともに岩・奇岩や巨石・奇石として霊石になり、現在では神籬と合わせ
神社神道の
玉垣の原型になったといわれる。
これらの古神道の信仰された場所に、現在の多くの神社神道の「社(やしろ)」が建立され、賽神は自然そのものから「
尊」(みこと)といわれる人格神に取って代わっていった。このことは古代の神社の多くが神体山信仰(神奈備)に起源があり、その根拠として、
神社の
建築様式おいて基本的には「
鳥居→
社殿→神体山」という序列があり、参拝者の後方に神体山が存在する場合にも
参道を考慮に入れるとこの序列は成立しているとする説
[富沢雄史・峰岸隆・寺地洋之・加藤祐策「神体山にみられる古代信仰形態と神社の配置構成―神社の空間構造に関する研究(その2)」「学術講演梗概集(F-2 建築歴史・意匠)」(日本建築学会)1996年7月。]からも窺い知ることができ、その他にも各説があるが、古来から大規模集落にみられた祈祷や祭礼の場所としての古神道の神殿が、仏教思想の影響により、神社の本殿に神が鎮座するとする「
神常在思想」が発生したと、池辺弥はしている
[池辺弥『古代神社史論攷』吉川弘文館、1989年。]ことなども、古神道の場所に神社が建立された、とする説明に合致する。また
景山春樹は
古墳や
塚と同様に
祖霊信仰に始まり、やがて
山そのものを信仰の対象とする自然神道的な形態に変遷し、後に山中の祖霊神に農耕の神の観念が重なっていったと解釈している
[景山春樹『神体山』学生社、1971年。]。