明治維新によって諸藩で召し抱えられていた能楽師・狂言師の多くはその雇を解かれ、またその後の社会の混乱もあって困窮した。
能楽・狂言が盛んであった
尾張藩でも、廃藩に伴って御役者がその職を失ったが、伝統的に副業を持つ者が多かったことや、関谷守彦や伊藤次郎左衛門、岡谷惣助など
江戸時代から続く商家による援助もあって舞台が続けられていた。一方、この時期には名古屋和泉流において藩政時代から名家と呼ばれた山脇藤左衛門家や早川幸八家が跡継ぎの問題から断絶している。
創立時の最大の特徴として、狂言以外の「正業」を持つことを定めたことが挙げられる。また、同人への出演依頼およびその出演料はすべて狂言社に一本化し、維新以降に売却・質入れされるなどして散逸の危機にあった装束や面・
伝書・
台本・
番組などを買い集め、保管・修復することに使われた。この活動によって収集されたものの多くは幸運にしてその後の戦災も免れ、往時の名古屋狂言の重要な資料として残されている。