資定王は2歳で父親と死に別れて
姉である
隆姫女王に育てられた。隆姫が後に
摂政藤原頼通の
正室となると、子供のなかった
藤原頼通は資定王と
養子縁組をするために
臣籍降下させ、
源師房と名を変えた。藤原頼通の父・
藤原道長も師房を寵愛して娘を嫁がせた上に藤原頼通に男子が生まれなければ、師房を
藤原氏に改姓させて
摂関家を相続させても構わないと言ったとされている。
摂関家との強い結びつきは「源氏と雖も、土御門右丞相の子孫は御堂の末葉に入る」(『
台記』)といわれた。すなわち師房は、村上源氏にして
藤原道長を継ぐ者とされていた。