下野国の僧
勝道上人(
735年 -
817年)が北部山岳地に修行場を求め、
大谷川北岸に
766年に現在の四本龍寺の前身の紫雲立寺を建て、それに続いて
神護景雲元年(
767年)、二荒山(
男体山)の神を祭る祠を建てたのが当社の始まりと伝える。この祠は現在の別宮となっている本宮神社である。登頂を志して多くの失敗を重ねたあと、
782年には二荒山の到頂に成功し、そこに奥宮を建て、二荒
修験の基礎を築いた。その後、
神仏習合の霊場として栄えることとなった。社伝などでは勝道が開祖と説明されるが、実際には太郎山神社周辺で古代の
祭祀の痕跡をしめす
遺跡が見つかっており、相当古くから聖地として信仰の対象になってきたことが分かる。しかし、なぜ祭神が出雲神である一方、下野国の開祖で
下毛野氏の祖とされる
豊城入彦命でないのか、不自然だとする見解がある。出雲神は
尾張国や
三河国の民が祭る神であり、
徳川家康の威光をもって出雲神を祭神としたということであれば明快であるが、なぜ、下毛野氏の氏寺の修行僧であった開祖・勝道が下毛野氏ゆかりの神々を祀らなかったかについては謎とされる。
二荒山(ふたらさん)の名は、諸説あるが
観音菩薩が住むとされる
補陀洛山(ふだらくさん)が訛ったものといわれ、のちに弘法大師
空海がこの地を訪れた際に「二荒」を「にこう」と読み、「日光」の字を当てこの地の名前にしたといわれる。空海はその訪れた際に女峯山の神を祀る滝尾神社を建てたという。また、
円仁も日光を訪れたとされ、その際に現在
輪王寺の本堂となっている三仏堂を建てたといい、この時に日光は
天台宗となったという。その後、二荒山の神を本宮神社から少し離れた地に移して社殿を建て、本宮神社には新たに御子神である太郎山の神を祀った。「日光三所」はこのとき新たに建てた現在の本社と本宮神社、そして滝尾神社をさす。