若槻の翻意により既に政友会から合意を得ていた安達の面目はつぶれ、引くに引けないまま安達は自宅に引きこもり、
閣議に出席しなくなる。当時の日本の制度により、総理には
閣僚を解任する権限がないため
行政の停滞が続き、ついに閣内不統一により若槻内閣は総辞職した。総辞職を受けて
元老西園寺公望が次期首班に政友会の犬養総裁を奏薦し、
犬養内閣の成立となった。かねてから久原・安達の独走に懐疑的であった犬養は単独内閣を組閣した。
その後、安達は民政党と袂を分かつ事になった。なお、この総辞職の発生が井上蔵相によって
ドル買問題を引き起こした
三井銀行などの大手銀行に対する報復的な対応措置が実施される直前であったことから、当時、安達が倒閣と引換に大手銀行側から何らかの利益を受けていたのではという噂が流されたが、安達の動きはそれ以前よりのものであるため、直接の関連性は薄いと考えられている。