古代の中国では、祖先崇拝の観念のもとに、血族が同居連帯し家計をともにする家父長制家族が社会の構成単位をなし、この家族の構成員たちは、親に絶対服従すること、祖先の祭祀に奉仕することを孝として義務づけられた。
孔子が、親を敬し、親の心を安んじ、礼に従って奉養祭祀すべきことを説き、社会的犯罪については「父は子の為(ため)に隠し、子は父の為に隠す」(『
論語』子路篇と述べた。やがて孝は『
孝経』において、道徳の根源、宇宙の原理として形而上化され、絶対服従と父子相隠は法律にも明文化された。
君臣間の徳目である「
忠」と常に齟齬を来すことになるが、
中国や
朝鮮では多くの場合、「忠」よりも「孝」が大切だと考えられた。ただし、
日本においては
朱子学伝来以後、逆に「孝」よりも「忠」が大切だと考えられて、
江戸幕府体制下では公的な見解として採られる様になっていった。