?(たく)郡?県
[現在の河北省保定市?州。]の人。
前漢の中山靖王
劉勝の末裔と称した。
黄巾の乱に際して
関羽・
張飛らと義勇軍を結成し、鎮圧に功績を挙げる。功により一旦は公職に就くが、やがて職を捨て出奔。その後は各地を転戦し
公孫?、
袁紹らの下で戦う。その間、
徐州刺史、
豫州牧などの地位を得るが、一定の本拠を定めることはできなかった。
官渡の戦いでは袁紹軍に参加するが、
曹操に軍を向けられると
劉表のもとに身を寄せた。劉表のもとで過ごす中で
諸葛亮を参謀に迎え、
天下三分の計を説かれる。劉表の没後は
孫権と連合して曹操に対抗した。そののち、天下三分の計に基づき
劉璋から蜀を奪って本拠を定め、漢中王を称して曹操と孫権に対抗。皇帝(
献帝)の
曹丕への禅譲を受けて
[劉備の元には皇帝(献帝)は殺害されたとの報が入ったため、後を継ぐ形で即位した。実際には皇帝の生命に別状は無かった。]部下たちから皇帝に推戴され、
蜀漢を建国した。