一方、行政上、日向国が設置されたのは7世紀であり、それ以前の時代には日向国地域は
熊曽国に含まれていたとして、古事記の「竺紫」=「筑紫」、日本書紀の「筑紫」から、降臨地は「
筑紫国の日向」であって後世の「日向国」ではないと解釈する異説がある。
名前の「アメニギシクニニギシ」(天にぎし国にぎし)は「天地が豊かに賑う」の意。「アマツヒコ」(天津日高)は
天津神のことで、「ヒコ」(日子)は男性のこと。「ホノニニギ」は稲穂が豊かに実ることの意味である。「ニニギ」は「ニギニギしい」の意で、「にぎやか」と同源語である。神話上ニニギの一族とされている上述の天忍穂耳尊やホデリ・ホスセリ・ホオリとは名前に稲穂の「ホ」がある点で共通している。
埋葬地である「日向の可愛の山陵」の伝承地は南九州各地にあるが宮内庁は薩摩川内市の新田神社と正式に決定している。新田神社は大正3年に宮内省直轄となり、新田神社のある神亀山の5分の4が御陵の領域で、現在は宮内庁書陵部桃山監区可愛部事務所が置かれ、内閣府事務官が陵墓守部として管理されている。御陵と神社が一体となっているのは全国でも珍しい形態である。大正9年3月30日・昭和天皇(当時の皇太子)参拝、昭和37年・今上天皇(当時の皇太子)及び皇后美智子(当時の皇太子妃)参拝、など皇族の参拝は9回にも及んでいる。