なお、マルグレーテは一般に
マルグレーテ1世と呼ばれている。スレースヴィ(シュレースヴィヒ)、ホルステン(
ホルシュタイン)への出兵と失敗を繰り返し、そのツケをスウェーデンやノルウェーへの増税で賄うなど、内外に不安定性を常に抱え込む状態が続いた。また
エーレスンド海峡を通過する船に海峡税も課し、これがデンマークの莫大な
財政収入を生んだ。デンマークは大国化したとは言え、内政では国王の
絶対主義化はうまく行かず、常に貴族の介入を許した。貴族の勢力は強大で、
1448年にようやく、オルデンブルク家が世襲王家として認められた(
オレンボー朝)。この王朝の下でデンマークは
北欧の強国として成長し、
1460年には懸案だった
スレースヴィ=ホルステンの領有化に成功する(
神聖ローマ帝国領のまま、一種の
同君連合)。また
海軍も強化し、宿敵であった
ハンザ同盟を破って、
バルト海の盟主にもなった。この時代、デンマークは、
北海からバルト海をまたぐ
超大国であったと言える。しかしスウェーデンでは早くも独立へ向けた反乱が始まっていた。また
フィンランドなど北東の支配力は弱体で、
1509年には、
フィンランドの
トゥルクに侵攻し壊滅的なダメージを与えたが、結局撃退されてしまった。
1497年に北欧王国同盟が結ばれ、カルマル同盟は強化されたが、次第にスウェーデンの分離は明らかな事態となっていった。