ドヴォルザークは、
ワーグナー派対
ブラームス派の対立が明らかとなった時代に学習期を迎えている。1860年代後半、彼はワーグナーの音楽に心酔し、
プラハでワーグナーの
オペラを常時上演していたドイツ劇場(スタヴォフスケー劇場)に足繁く通った。
1871年に作曲したオペラ『王様と炭焼き』第1作には、
ライトモティーフの使用や切れ間なく続く朗唱風の音楽に、ワーグナーの影響が明らかに見て取れる。しかし、この作品は失敗作と見なされ、初演を迎えることはなかった。ドヴォルザークは、この『王様と炭焼き』第1作と全く同じ台本に異なった音楽をつけ、ナンバー・オペラに仕立てた『王様と炭焼き』第2作以降、徐々にワーグナーの影響下を脱していく。こうしたドヴォルザークの才能にいち早く着目したのは、ワーグナーと相対していたブラームスである。ドヴォルザークは、ブラームスや「ブラームス派」の音楽評論家
エドゥアルト・ハンスリックらの推挙によって作曲家としての地位を築いた。彼は、こうした先人たちの残した豊かな遺産を十全に活用し、ワーグナーから学んだドラマ性、ブラームスも着目する構成力を高い次元で兼ね備えた作曲家であった。
とはいえ、ドヴォルザークの音楽をとりわけ魅力的にしているのは、
シューベルトと並び賞される、その親しみやすく美しい
メロディーである。彼の
交響曲第9番の第2楽章は、日本語の歌詞がつけられて
唱歌「家路」として親しまれるだけでなく、学校やデパートなどの終業時刻を知らせるメロディーとしても多く利用されている。ピアノ曲『
ユモレスク』
変ト長調(Op.101-7, B.187-7)は
フリッツ・クライスラーによる
ヴァイオリン独奏をはじめとする様々な編曲で演奏され、耳に馴染んでいるメロディアスな作品である。また、
歌曲『
我が母の教えたまいし歌』は、クラシック音楽の
声楽家のみならず、ポピュラー・シンガーによっても愛唱されている。