紀元前421年の
ニキアスの平和によって
デロス同盟と
ペロポネソス同盟は講和したが、主戦論を唱えるアルキビアデスはそれを破って再び戦争を再開させ、同盟国を助けに行くとの名目でシケリア全土を支配下に置くべく
シケリア遠征を提案し、自ら将軍の一人として参加した。しかし、到着後すぐに前に起こった
ヘルメス像破壊事件の容疑者として彼の政敵たちによってアテナイへの帰国命令が出たため、彼はスパルタに亡命した。一方、膨大な戦力を投入したにもかかわらず、
シュラクサイとアテナイの国力差を見誤ったこの無謀な遠征は散々たる結果に終わった(
紀元前413年)。遠征軍は降伏し、司令官の
ニキアスと
デモステネスは降伏したものの、シュラクサイによって処刑された。
アルキビアデスはスパルタでは顧問のような位置でアテナイへの穀物輸送の要地
デケレアへの砦建築を提案したり、
アケメネス朝ペルシアにスパルタへの援助の交渉のために向かったりした。しかし、
紀元前411年にアテナイで寡頭政権が樹立されるとアルキビアデスは帰国を許され、返り咲いた。その後、
サモス島アテナイ駐留軍の指揮官になり、
紀元前410年にスパルタ軍を破る。しかし、紀元前406年艦隊副将の独断による敗戦の責任を咎められ
トラキアに亡命する。亡命先の
フリュギアで
太守ファルナバゾスの厚遇を受けるも、スパルタからの要請によって暗殺された。